第1回 ジャイアンツの偉大なる3本柱(2001.5.10)

 第1回は1990年代のジャイアンツを支えてきた槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の3本柱の凄さについて考えてみようと思う。最近は「引退間近か?」などと囁かれている3人であるが、年齢を考えれば当然のことで、だからといってこれまで3人が残してきた実績は大きいものであるし、その価値は決して下がることはない。
 ここでは初めて3人が先発として揃った1989年から1999年までの11年間を数字で振り返ってみる。

 1989年とは斎藤雅樹が大躍進して20勝した年である。そしてここから10年以上にわたって3本柱が中心となって巨人を支えるのである。
 下の表は3本柱が11年間に残した成績であるが、3人とも100勝以上の勝ち星をあげている。この11年間における巨人の勝ち星の合計が799勝なので、【3人の勝利数の合計】を799で割ると、368÷799≒0.461となり、チームの勝ち星の半分近くになる。
 プロ野球選手の平均在籍年数は6年ちょっとと言われている。単純に考えて、6年経てば選手が入れ替わるわけで、それだけ新陳代謝が激しいプロ野球界において先発投手3人が同時期に揃い、10年以上も投げ続けている(例年ほぼ180イニング以上!)ことはまさに偉大なのである。

 参考として1989年、1994年、1999年のジャイアンツの投手陣の主力メンバーを若い年齢順に記しておく。戦力の入れ替わりが激しいことがわかると思う(特に1994年と1999年を比較すると3本柱以外は全て入れ替わっている)。
1989年 (桑田)、吉田修司、水野雄仁、香田勲男、(斎藤)、広田浩章、宮本和知、(槙原)、鹿取義隆
1994年 石毛博史、橋本清、木田優夫、(桑田)、岡田展和、水野雄仁、香田勲男、(斎藤)、宮本和知、(槙原)
1999年 上原浩治、岡島秀樹、三沢興一、入来祐作、柏田貴史、木村龍治、西山一宇、(桑田)(斎藤)、ガルベス、(槙原)

槙原寛己(1981年ドラフト1位)斎藤雅樹(1982年ドラフト1位)桑田真澄(1985年ドラフト1位)
年度防御率投球回数自責点年俸防御率投球回数自責点年俸防御率投球回数自責点年俸
1989年12441.79 150 2/330426020701.62 24544144017902.60 24972 2700
1990年9503.96 102 1/345690020502.17 22454450014702.51 186 1/3525200
1991年91203.39 186707630111103.38 178 2/367840016813.16 227 2/3807600
1992年121313.58 19678714017602.59 187 2/3547600101404.41 210 1/31039840
1993年13502.28 173 2/344780091103.19 149 2/3531180081503.99 178798880
1994年12802.82 185581200014802.53 206 1/35811500141112.52 207 1/3588300
1995年11802.88 190 2/36117200181002.70 21364180003302.48  65 1/31814300
1996年6604.12 122 1/3561720016402.36 18749270001軍登板なし12000
1997年12903.46 150 2/358160006804.11 118 1/3543300010703.77 1415910000
1998年64183.98  81 1/3361600010703.08 146 1/3502900016504.08 1818216000
1999年43232.83  41 1/313210005204.66  8343290008954.07 141 2/36421000
11年合計10677463.13 15805491467902.74 19395901168873.36 1787 2/3667
通算成績159128563.19 2484 2/38821650017894112.75 233471221000 148114123.34 234187016000
  ※通算成績は2000年度終了時点まで  ※年俸は推定(各種選手名鑑による) 単位:万円

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