吉村禎章氏(元巨人)の講演を聴いて


第1回 吉村禎章がプロ入りするまで

10月24日、大都会北広島市にある北広島市芸術文化ホールに昨年まで巨人に在籍していた吉村禎章氏が来た。 会場は結構混んでいたが、早めに並んでいたこともあって一番前の席で見ることができた。

吉村氏の出身高校はPL学園であるが、当初は自身が奈良県出身ということもあって天理か智弁学園に行くつも りだったらしく、実際その2校からも誘いがあったという。しかし、吉村氏が中学3年の時に見た甲子園でPL 学園が「逆転のPL」と言われながら勝ちつづけたのを見て、「どうせ甲子園に出るのなら優勝を狙えるところ がいい」と思って気が変わったということだった。ちなみにこの年のPL学園は西田真二と木戸克彦がバッテリ ーを組んでいた。この2人は高校卒業後は法政大学に進み、1982年のドラフトで西田が広島から、木戸が阪 神からそれぞれ1位指名された。
PLのセレクションを受け、入学当初はA〜Eランクの中のEからスタートした吉村氏であったが、努力の結果 レギュラーの座をつかみ、1981年のドラフトで巨人から3位で指名された。最初は巨人のスカウトから「君を 1位で指名する」と言われたが、「愛知出身の槙原寛己が中日に指名されることを恐れた&場合によっては津田恒 美を1位指名して広島カープと抽選で勝負するつもりだったが、抽選で外れたらはずれ1位の指名は12番目にな る(前年度に巨人は優勝しているので)」と考えた結果、巨人は槙原を1位に指名したのだという。だが、巨人の 2位指名が山本幸二(捕手、プロでの通算成績は43試合、16安打、2本塁打、7打点、打率2割3分5厘)を 指名した時は吉村氏もずっこけたらしい。PLには報道陣も来ていたのにドラフトのテレビ放送もその時点で終了 してしまい、吉村氏が巨人からの指名を知ったのは寮に帰ってからであった。
この年のドラフトに指名された主な選手は、槙原(巨人1位)、村田真一(巨人5位)、津田(広島1位)、平田 勝男(阪神2位)、宮本賢治(ヤクルト1位)、小川淳司(ヤクルト4位)、金沢次男(大洋5位)、山沖之彦 (阪急1位)、南牟礼豊蔵(阪急3位)、井辺康二(ロッテ1位)、西村徳文(ロッテ5位)、伊東勤(西武1位)、 金森栄治(西武2位)、工藤公康(西武6位)、矢野実(南海3位)、藤本博史(南海4位)、金村義明(近鉄1 位)がおり、マニアックなところでは、中日の仁村の兄である仁村薫(巨人6位)、ファームの大砲で2軍では 通算161本塁打の日本記録を持つ斉藤浩行(広島2位)、結局1軍出場はなかった源五郎丸洋(阪神1位)、 大洋では1勝もできず84年にロッテに行った右田一彦(大洋1位)、主に代走と守備固めに起用された村岡耕一 (大洋3位)、ピッチャーで完全試合もやったがその後パッとしなかった同姓同名の田中幸雄(日本ハム1位)、 存在は地味だったが左のワンポイントとして西武の黄金時代に貢献した小田真也(西武3位)、近鉄や阪神で中継 ぎを務めた住友一哉(近鉄6位)がいる。

今日は疲れたから続きはこの次に・・・。たぶん次は10行ぐらいで終わるだろう。
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