吉村禎章氏(元巨人)の講演を聴いて
第2回 吉村禎章がプロ入りしてから
吉村禎章のプロ野球年度別成績
年度 |
試合 |
打数 |
安打 |
本塁打 |
打点 |
打率 |
打率順位 |
82 |
4 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0.000 |
|
83 |
84 |
95 |
31 |
5 |
11 |
0.326 |
|
84 |
115 |
260 |
89 |
13 |
34 |
0.342 |
|
85 |
120 |
344 |
113 |
16 |
56 |
0.328 |
3位 |
86 |
128 |
474 |
148 |
23 |
72 |
0.312 |
5位 |
87 |
127 |
428 |
138 |
30 |
86 |
0.322 |
5位 |
88 |
65 |
222 |
67 |
13 |
39 |
0.302 |
|
89 |
17 |
28 |
5 |
0 |
4 |
0.179 |
|
90 |
84 |
208 |
68 |
14 |
45 |
0.327 |
|
91 |
93 |
242 |
55 |
10 |
42 |
0.227 |
|
92 |
91 |
224 |
71 |
6 |
32 |
0.317 |
|
93 |
94 |
311 |
84 |
8 |
43 |
0.270 |
|
94 |
81 |
160 |
28 |
3 |
23 |
0.175 |
|
95 |
53 |
66 |
19 |
4 |
13 |
0.288 |
|
96 |
53 |
61 |
15 |
2 |
11 |
0.246 |
|
97 |
69 |
62 |
16 |
1 |
14 |
0.258 |
|
98 |
71 |
65 |
17 |
1 |
10 |
0.262 |
|
通算 |
1349 |
3253 |
964 |
149 |
535 |
0.296 |
|
(第1回の掲載からはや1ヶ月。前回はナマの吉村を見た興奮で、勢いだけで書いてしまった。第2回は本当に書くこと
がない。ということで今回は吉村の年度別の成績を掲載したのでそちらをメインに楽しんでいただきたい。)
吉村氏はドラフト3位で巨人に指名されたが、しばらくはプロに行くか大学に行くかで悩んでいた。やはりプロ野球に
対して自信がなかったらしく、法政大学から内定をもらっていたこともあってかなり悩んでようだ。そんな吉村氏の自宅に
巨人軍のある大物から電話がかかってきた。その大物とは世界のホームラン王の王貞治氏である。当時助監督だった王氏の
「巨人の王です」という電話に対し、イタズラ電話だと思った吉村氏は「なにが王だ!」と言ってしまったらしい。本人だと
わかると直立不動になったということだった。吉村がプロ入りするきっかけになったのは王助監督の「プロに入るのが不安だ
というのはわかる。でも同じ左バッターである自分が力になる。」という一言であった。
82年こそ出番がなかった吉村氏であったが、その後は順風満帆な野球人生を送った。その素質は充分で、「10年は巨人の
4番は大丈夫」と言われていたが、88年7月に栄村と衝突し、左足の靭帯3本が断裂するという大ケガに見舞われた。
そこから復帰にかかった日数は、1軍登録まで424日、復帰後初安打まで429日、復帰1号まで654日であった。
手術で完治したわけではないため、神経が完全につながっておらず、吉村氏の足は今でも補助具がないと足首から下が
垂れ下がる状態なのだそうだ。
吉村氏が講演の最後で言った次の言葉が印象的だった。「引退したことは後悔していない。だけど体が不自由な人で、僕の姿を
見て感動してくれるという人を野球を通して励ますことができないのが残念だ。」
16年のプロ生活で規定打席に達したのはわずか3回・・・。通算成績を見ても一流選手とはいえないかもしれない。
だが、吉村禎章は多くの感動を与えてくれたバッターであった。
参考文献
@プロ野球記録大百科1936→1997 THE OFFICIAL BASEBALL ENCYCLOPEDIA '98(1998、日本野球機構)
Aプロ野球ドラフト史1997年版(1997、ベースボールマガジン社)
B巨人の4番 栄光の座(1997、フォレスト出版)
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